因果応報とは、自分が行った行為が結果となって自分に返ってくるという意味です。善い行いをすれば良い結果が、悪い行いをすれば悪い結果が返ってくるという考え方です。
と、因果応報の意味を調べたらこのようなものでした。
ニャンデス中の人こと、屁理屈コネ太郎は否!と申す!!
「因果」はある、でも「応報」はない、と。
いや、ある人にはあるんですが(なんやそれ、また後ほど)

原因と結果は結びつきますね。無理をしたら病気になった、とか。その無理をするに至る原因もまたあったはずです。因果因果因果…と我々は縦横無尽に張り巡らされた因果の蜘蛛の巣の中で暮らしているようなものです。現象ですね。
応報とは、良い事をしたら良いことが自分に返ってくる逆もしかり。。結果に意味を与えたい、お気持ちの世界なんですな。
その悪は誰かの善かもしれない!その善は余計なお世話だったかもしれないのに!ええ!
今日は電車でお年寄りに席を譲ることができて、なんか気持ちがいいなーニコッ
これは応報なんだよね、良い事をしたから気分が良い。とても個人的で押し付けがましいものです。自分にとって良い事をしたのですな。
実際、譲られた人はまだ自分は老人と思っていないのに席を譲られてしまって、ショックを受けているかもしれない。
そこで席を譲られた老人が礼も言わずに座ったら気分が悪いのでしょう。良い事をしてあげたのに!
良い事をしたら〜って言ってる時点で見返りを求めているようなものだね。
なっとらん、なっとらんよ!喝!!
物事や事象はただそこに在るだけのもの
何の意味付けもいらんのです。
マイクロプラスチックが人体から発見されたそうです。動脈瘤や脳の中に(突然どうした)
それはプラスチックを作った人間への報いなのでしょうか?
いやただ、人間は便利なプラスチックを作りました。そしたら小さくなっちゃってマイクロプラスチックになりましたとさ。というだけのこと。因果、現象なのです。
そこに応報とかいうお気持ちを付加してくるから変な方向へ行くのですよ。プラスチックに助けられた人や生物だっていっぱいいるはずです。
人は神の意思に自然の理に背いたのか?神や自然はそんなこともマルっと了承済みのはずです。人間も自然物だもの、神だもの、合掌。
神とはね!…長くなるのでここでは書きませんが(汗)
しかし応報はあります。
えー!(えー!)
信じてるから在るんですよ。信じる者にのみあるんです。だって信じてるから(3回言った、進次郎構文より長め)
悪いことしちゃったから呪われるかも…と自滅していくんですな。アレもコレも…って意味付けして。
所詮、この世は現象のみの世界です。
そこへ意味を付けるのは個人です。とても個人的な閉ざされた世界です。しかも人はほぼお気持ちだけで生きています。
因が見つからないと前世が〜とか言い出したりしてね。他人から因果応報を説かれた時は気をつけようね!とり込まれるかもよ〜
結論
因果応報はある人にはあるし、ない人にはない
というようなことをXの個人アカで呟いていたら「因果応報はあるからね」みたいなことをプロフに書いているお坊様から違うポストへのイイネをくらいました。牽制球なのか!!問答してみたいです!
結論の結論
人は社会を形成しないと生きていけない弱い生物です。社会性を上げるために因果応報とかいう思想を作ったのでしょうね。
※全ては私の妄想です。真実はあなたの中に。